助動詞の乱舞

哲学と文学の読書

サマセット・モーム 「月と六ペンス」(1919年)

 物語の語り手は、作家の「私」だ。「私」が画家のストリックランドの物語を語る構造になっている。

 ストリックランドは証券会社に務めるしがない中年男性だった。そのストリックランドが家庭を捨てて出奔する。誰もが浮気して駆け落ちしたのだろうと思い、ストリックランド夫人に頼まれた「私」が彼に会いに行く。ところが、彼は画を描くという夢のために出奔したのだった。

 これがこの物語の始まりである。それから、ストリックランドは色々な酷いこと(自分の才能を認めてくれる友人から女房を寝取ったり)をしながら画を描いていく。「私」にはその画の価値はわからないし、ストリックランドはただのクズにしか見えないのだが、彼はへっちゃらである。最後は「私」にも見捨てられ、ストリックランドはタヒチに移り住み、現地人の娘と結婚して、ハンセン病で死ぬ。最後まで画を描き続けながら。

 そして彼は死後に偉大な画家として評価される。「私」も、ストリックランドが捨てた家族も、手のひらを返して彼を称賛する。

 ストリックランドはモームの描いた、理想の芸術家というイメージのカリカチュアである。こんなに都合よく芸術に身を捧げられて、見事に報われる芸術家は存在しない。

 だからこそ、芸術家に憧れる者は誰でも、「俺もストリックランドになりたい」と考えることが一度はある。純粋にストリックランドに憧れるのも、良いだろう。しかし、「月」を目指すということは、自分に「六ペンス」の価値しかないことを絶えず突きつけられ続けるということでもある。芸術家と呼ばれる人間はすべて、この「六ペンス」から飛び上がろうとあがき続けた人間である。それが結果的に、本人のあずかり知らぬところで偉大な芸術家と評価されることはあるかもしれない。ストリックランドは死後にそうなったという設定である。しかし、それで「六ペンス」以上の価値が自分の芸術にあると思うようになったら、芸術家はおしまいだ。そうやって芸術作品を作れなくなった死んだ芸術家は、幾らでもいる。

 ストリックランドは死の直前、ハンセン病で視力を失った。その状態で彼が粗末な住居の壁に描いた絵は生命力にあふれる素晴らしいものだった、と語られる。だが、その絵は遺言によって家ごと焼かれ、消滅してしまう。これがモームの描いた芸術のイデアであり、それには強い説得力がある。ストリックランドのモデルはゴーギャンである。だから、このシーンではゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」が想起される。

 モームは周到に準備して、芸術家のイデアを描いた。ストリックランドの人格をクズにしたのも、そのための戦略である。読者がストリックランドへ共感しようとすると、どこかで拒まれるような仕掛けをきっちり埋め込んだ。つまるところ、ストリックランドが偉大に見えるのはそのせいだ。彼が人間的な感情をあらわして苦悩する芸術家志望者だったなら、読者がストリックランドに共感、同情することは容易かったかもしれないが、ニーチェ風に言えば同情は相手の地位を自分より低くすることだ。同情は感じられない、だけど凄みを感じる、という絶妙のポジションにストリックランドを位置させることで、「月と六ペンス」は作品として成立した。

 サマセット・モームという作家はあの時代の英文学作家なので、芸術の価値なんてものには懐疑的だったはずだ。他の作品を読んでもとにかくシニカルだったり、露骨に「劇的な効果」を狙いに行っていたりして、面白いと言えば面白いのだが、ちょっとこれはなぁ、という部分もある。本人の文章もたぶん上手いのだろうし、翻訳も良いので気楽に文庫本で読む分には素晴らしい作品が多いのだが、それ以上の価値(そんなものはモーム自身目指していなかったと思うが)があるかは微妙なところがある。ところが、そのモームが至高の方法で芸術を語ってしまったのが「月と六ペンス」という作品でもある。

 これくらいで良いだろう。最後に、ちょっと脱線気味のことを書く。

 モームが題材にしたのは小説家でも音楽家でもなく、画家だった。画家は小説家に成し遂げられないことをする。あれだけ描写の上手いモームだから、そのことはよくわかっていたと思う。だからこそ、画家に成し遂げられないことを小説家として行ったと僕は考えたい。

 このことは、これから「言葉」というコンテンツの未来を占う上で、この上ないヒントになってくれる。