助動詞の乱舞

哲学と文学の読書

河合隼雄 「ユング心理学と仏教」(1995年)

 僕が初めて心理学のことを知ろうと思ったとき、読んだのは河合隼雄の「ユング心理学入門」だった。確か15歳か16歳のときだったと思う。

 わかったような、わからなかったような感じで読み終えたことは覚えている。

 人間には無意識があると言われればそれはそうだろうと思うし、それは個人だけにあるのでなくて全人類にも普遍的な集合的無意識というものがあるだろう、という考え方も、一体そんなものがどうやって(つまり科学的にどんな物質を媒介にして)成立しているのか皆目見当がつかない、ということを留保すればまあ発想としてはわかる。

 だけど、人間の心にはアニマやアニムスがあるなんてなってくるとてんで駄目で、そんなのは勝手な解釈の枠組みを作ってそこに押し込んで行ったからそういうことになっただけじゃないのか、だいたい百年近く前のユングなんて怪しい学者の言ったことを、そんなに重要視して今更用いる必要はあるのか……そんなことを思いながらも、なるほど確かにユングが言うような枠組みを使えば、人間の『無意識』の働きはそうとう的確に説明できるといえばできるだろう、というようなことも考えて、「ユング心理学入門」を読んだのが昔の僕だった。

 それから心理学(というか精神分析)は医学・科学としては失格の烙印を押されていることを知り、安心して無視してきたのだが、最近ちょっと自分が世界を見る目が殺伐としすぎていることを意識するようになった。実証主義を押し通していくと、面白い考え方は出てこなくなる。だいたい、実証できない「効能」に僕たちはずいぶん頼って生きているのに、それを理性の側から「実証できないものは存在しない」と切り捨てるのは乱暴である(実証の限界というものを感じ始めたのかもしれない)。

 それで、そろそろ思想としての精神分析をちゃんと知っておこう、と思って、河合隼雄を手に取り始めた。

 河合隼雄は日本のユング派の祖らしい。2007年に亡くなった。僕個人は「ユング心理学入門」の他にも、村上春樹との対談なんかは読んだことがあり、そういう人がいることは知っていた。よく言えば丸っこくて柔軟な、悪くいうと適当すぎる考え方を持っている心理学者だという印象を持っていたのだが、それで「ユング心理学と仏教」を手にとって見るとこれがけっこう良かった。

 「ユング心理学と仏教」は河合隼雄が1995年にアメリカに行って、現地でやったレクチャーの原稿を出版したものである。アメリカにはユング派の心理学者の会合があって、そこに招待されたらしい。今のアメリカの心理学者がそんなことをやっているのかどうかは知らないが、少なくとも1995年にはやっていたというのだから恐れ入った。とにかく、そういう場でアメリカ人に対し、日本人としてユング心理学について何か語らないといけない、ということになり、河合隼雄は日本で患者と向き合って治療をしているうちに日本人の心性には仏教的なものがあって、それとユング心理学の関係が面白いからそれをやろうということになった、という経緯でこの本のタイトルができたということだ。

 「ユング心理学と仏教」はプロローグ、エピローグを除くと主に4章から構成される。以下に要約しておくけど、半分くらいは記憶に頼って書いているので大雑把な内容を知る以外には参考にならないと思って読んでほしい。

 第一章は「ユングか仏教か」という題で、日本と西洋の自我意識の違いを語る。

 自分の西洋留学の体験などを引き合いに出しながら河合隼雄は、西洋的な自我は元々個々に確立しているのが前提になっており、それから周囲とのコネクションを図る一方で、日本的な自我は周囲との関連性の中でぼんやりと意識されており、それから敢えて個別化の道に歩むという形で意識されているのだ、ということを語る。これはたぶん当たっているのだと思う(どこまで普遍性があるか、どれだけの人間に実際問題として当てはまるかは別として)。もちろん単にそういうことを言いたいのではなく、周囲との関連性の中で意識される日本の自我は集合的無意識に近いところにあるのだから、ユング思想は東洋の(日本の)価値観と通底するところがあるだろう、ということを言いたいのである。その東洋的(日本的)な価値観の象徴として仏教が言われているのであって、別にこの本は仏教思想への深い言及がある訳ではない。おかげで気楽に読めるが。

 第二章は「牧牛図と錬金術」という題になっている。「牧牛図」という東洋の宗教的なテーマを持つ図と、「賢者の薔薇園」という西洋の錬金術の図を比較する。後者はユングが参考にしたもので、ユング心理学にとって重要な絵とされている(らしい)。

 ここは参考になったと思ったところで、「賢者の薔薇園」は要するに人格や精神の変化、生誕と再生のプロセスの各過程を示しているのだが、「牧牛図」はある意味すべてがパラレルに扱われている。どの段階にあっても、目標にたどり着いているといえばいるし、たどり着いていないといえばいないような表現形式になっている。無意識とはそういうもので、無意識を変化させて目的を達成しようとするのではなく、突破口は最初からあるといえばある(ただしないといえばないともいえる)のだから、そのことを重視すべきなのではないか、という問題提起をする。僕はハリウッド式の成長・成功物語ばかりが日本に輸入されて再生産されていることにずっと違和感を覚えていたので、この点ではなにかに気づいたような気がした。

 それから、この章ではアニマ像についても語っている。結論を端的に言えば、西洋的なアニマは「お姫様」で(神曲ベアトリーチェだ)、日本的なアニマは「母親」なのではないかという提案をする。河合隼雄は、仏教も母性原理の思想として解釈している。

 第三章は「私とは何か」というタイトルで、おおむねタイトル通りのことを説明しているのだが、これは第一章と内容的には重複していると思う。第一章は割と河合隼雄自身の経験を語っていたので、そこから得られた思想を語ったのだと思うが。言っていることは割と単純で、西洋的な意識は「自我」から無意識の方に降りていく形で無意識、更には集合的無意識までを発見したが、日本はもともと集合的無意識に近い側にいて(そのことを縁起という仏教思想から説明している)、そこから西洋の近代的自我を輸入したので互いに問題意識が逆になっているんだ、ということである。これも今では割とよく聞くような話の気はするが、何はともあれ結構面白い指摘である。

 第四章は「心理療法における個人的・非個人的関係」という題で、これまでの内容をかなり引きずっている。西洋人的な意識、日本人的な意識を我々は共に持っている。その上で、ユング心理学で患者を治療するという観点で言えば、どっちの方向性もバランスよく持つしかないんじゃないか、みたいなことを河合隼雄は平然と言う。また、治療者は患者の無意識の触媒になる程度の役割しかない、みたいなこともたぶん言っているんだと思う。いまいち僕が正確に表現(理解)できていないけど、この辺は多分河合隼雄節がぶんぶん唸ってる。

 また、人間の根底には通底する悲しみがあるみたいなことも言っているのだが、ショーペンハウエルか釈迦かよって感じだ。そして最終的な結論は「人間は統合はないけど協調してうまく動いているスーパーシステムなのだから、そういう風に把握するしかないじゃないか」といったところに落ちてしまい、統合された学問(科学)としての心理学を否定してしまう。心理学の営みは必要だが、そこに統合を求める必要はないと見ているらしい。

 ふわふわしていて捉えようがないといえば、そんな感じである。思想としては、こんなヨタ話、と片付けられてしまうギリギリのところに立っているのが心理学、精神分析というものだろう(それが変に大衆受けして流行ったりすることもあるが、それについては触れない)。

 だけども、河合隼雄の言い方にはそれなりに説得力を感じるのも事実で、それは河合隼雄が患者と向き合い続けた実績から来ているのか。それとも、単に河合隼雄に言いくるめられてるだけなのか。

 心理学なんて虚構と言えば虚構だし、それにしたってけっこう面白いのは事実である。こういう学問が消えていくとしたら、それは寂しいことだと思う。

深沢七郎 「楢山節考」(1956年)

 世の中には、これは高貴なテーマを扱った作品なんだ、ということを前面に押し出して書かれた小説がある。

 それが悪いと言いたい訳ではないのである。そういう小説で素晴らしいものは幾らでもあるから、それはそれで良い。だが、楢山節考はそんなものとは一見して無縁そうな、日本の小さな寒村を舞台に選んだ。

 老人を楢山に捨てるのがその村のしきたりである。主人公の母の老婆、おりんにもそのときが近づいている。母は楢山に行くことは良いことだと信じている。だから、はやくその日が来てほしいと思っている。

 主人公は、できれば母を山に送りたくはない。相応に苦しむのだが、しきたりに反する訳にも行かないし、母が楢山に行くことを望んでいるのを見ると死ぬなということもできない。

 主人公は自分の子にも苛立たしさを感じる。子供は子供で、自分には当然生きていく「権利*1」があるし、そのために早く祖母には楢山まいりに行ってほしいと思っている。姥捨て、楢山まいりのしきたりは、貧しい農村の食糧不足のために生まれた。口減らしが必要なら、本当は子供がいなければ、母は山に行かなくて済むのだと思ったりもする。もちろんそんなことを思っても、どうしようもない。

 だいたいこんな状況で進んでいく物語である。断っておくが、こんなあらすじは、楢山節考という作品の何も伝えていない。そもそもかなり端折ってしまったし、仮にあらすじを忠実に書いたところで深沢の独特の文体、筆運びは伝えられそうにない。やるとしたら引用なのだが、こんなページで深沢の文章を細切れに引用して読ませようとするよりは、文庫本を読んで頂いた方が良いと思った。

 一体この作品には何が描かれているのか。村落を維持していくためには親を殺し続けるしかないという、罪業かもしれない。我欲に駆られた人間の醜さと、その対局の利他性を対象的に描いたのかもしれない。あるいは、一切皆苦の現世で、人に宿る仏の姿を描いたのかもしれない(断っておくが仏教的な描写がある訳ではない)。

 この作品には危うさがある。現代に直結させて論じるのも、現代にとっては危険だし、楢山節考にとっては的外れも良いところだろう。楢山節考は姥捨てという、少子高齢化が進む現代日本にとって意識せざるを得ないテーマを扱った作品だ、というような論評をする人もいるのだが、そうは思わない。日本の高齢者は長生きして余生をエンジョイしたいとばかり思っているし、その子供たちがどこまで自身の親を愛しているかも正直疑わしい。だいたい、楢山節考の主題を絶賛した人たちには、今は相当高齢者になっている人も大勢いるはずなのに、彼らが自ら「楢山まいり」に行きたいと言っているのはほとんど聞いたことがない。

 楢山節考を読むと、我々は自らが楢山節考の世界とは「ずれて」いることを実感する。だけど、その「ずれた」向こう側の人びとの「美しい(痛ましい)」姿のことはわかる。それをどう読むかは、僕たちの課題である。

 これくらいにしておこう。確実に言えるのは、これは高貴なテーマを扱った小説なのだということだ。宗教的とすら言っても構わない。深沢は高尚そうな思想なんかまったく振り回したことがないし、着飾った美文体なんて一度も使ったことのない作家だけど、楢山節考は(そして深沢の他の小説は)ぐさぐさと心に刺さる。

 だから、できるだけ先入観を持たず、読んでみるのが良い。僕から言えることはそれくらいしかない。

*1:敢えて現代の語で権利と書いたが、この語はあまり作品の意図を汲めていないと思う。若い自分は年寄りを押しのけてでも生きる権利がある、年寄りはそのために死んで良いし早く死ね、というのが実際に描かれている「権利」である

アルベール・カミュ 「異邦人」(1942年)

 カミュの作品はけっこう泣かせるというか、感動させるものが多い。ペストがそうだし、ヨナ あるいは制作する芸術家なんかもそうだ。カリギュラ、正義の人びとといった作品の同情し難い登場人物たちですら、悲哀と共感を感じさせられる。このカミュの文学の力は一体どこから発しているのだろう。

 カミュは不条理に直面した(そして多くは敗北した)人びとを創作の題材として選んだ。そのことがカミュの文学を不朽のものにした、という解釈もありだろう。あるいは、カミュヒューマニズムを挙げて説明する人もいるかもしれない。

 だけど、敢えて言えばカミュの魅力の半分以上は技巧的なものである。カミュはとんでもなく書くのが上手い作家だった。カミュカミュの哲学や思想だけで語ることは、片手落ちなのだ。カミュを読むということは、カミュのとんでもなく上手い文章と付き合いながら読むということなのである。そういう側面からカミュを見ると、むしろ芥川龍之介に少し似ている。

 ところで、カミュの作品を解釈する試みは、上手くいっているものも失敗しているものも相応にある。その中で、異邦人という作品は突出して評価しづらいようだ。たとえばペストやカリギュラは、見事な構成に唸らされはするものの、異邦人のような解釈に悩むところは(それほどは)ない。一方、異邦人は未だに解釈すら定まっていないようだ。敢えて言えば、異邦人は作品の中に断絶を抱えている。それでいて、作品としてしっかり成立している。

 異邦人のこういう性質は、おそらく大半は初期のカミュの未熟さに起因するのだろう。だいたい、この作品はカミュの根底に直接つながっている。まだ若い頃のカミュは幸福な死という作品を書いていた。作家として名前が売れる前の、青年期のカミュが熱中した哲学的テーマがそのままタイトルになっている。が、これは未完に終わった。それを改めて練り上げ、書かれたのが異邦人である。だから主人公の名前も、幸福な死ではメルソー、異邦人ではムルソーになっている。

 物書きは自分にとってナイーブなテーマを語りたがる。だが、あまりにナイーブすぎるテーマを語ろうとすると普通は失敗する。カミュも恐らく、幸福な死でそういう失敗を経験した。文章を自分から突き放しながら書かないといけなかったのに、それが十分に成し遂げられないような自家撞着する物語を書いてしまったのだ。

 カミュが、あるいは異邦人が凄くなったのは、この経験があったからだ。そのことは断言して良い。

 さて、そんなに凄い凄いというのなら、異邦人がどんな風に凄いのか説明しろよ、とあなたは思っている頃かもしれない。だが、それは不可能というものである。こんなブログのページで異邦人の魅力を100%伝えるのは無理だ。無理に伝えようとすれば、極めて貧しいイメージを伝えることになる。

 そういうことを承知の上で無理に説明するとすれば、恐らく以下の2点が異邦人の主な魅力を構成しているだろう。

  1. 殺人を犯して死刑になる主人公を描いたこと
  2. その主人公の見る、感じる世界をリアルに描き、共感に近いものを抱かせるようにしたこと

 これが異邦人という物語の基本的な仕掛けである。私はそう思っている。

 この小説は主人公ムルソーの一人称で語られるが、そのムルソーの世界の見方、感じ方は小説の描写として極めて見事なのだ。冒頭の「ママンが死んだ」以降の文章、あるいは職場のタオルが常に湿っていて不潔だと思ったり、自分の裁判を退屈に感じたりするところ・・・例をあげればキリがないが、この小説は素晴らしい内面描写で溢れている。

 ムルソーは母親の死にも動揺する様子を感じないし、アラブ人を撃ち殺してもなんとも思っていないように見える。だから、ムルソーは感情を持たない死者のような存在だと論じられたりすることもある。それはそれである程度は当たっている議論だと思うが、読者はその死者のような存在のムルソーに親近感を覚えながら異邦人を読むのではないか*1

 どうしてそんなことが可能になったのかといえば、カミュが巧妙にそう仕組んだと言うしかない。仕掛けは幾らでもある。母親の死を悲しまないということも、年老いて養老院に入った母親、その母親と縁が遠くなった息子の関係としてはなるほどと思わされる。ムルソーは変わり者だが、それでも他の登場人物たちにはなんとなく理解され、共感を持たれているように描かれる。彼が生き生きと人生を楽しむ様も見事だ。そしてムルソーは「母親が死んだ翌日に海水浴し、女と寝たロクでなしのような人間」という理由で陪審員の支持を失って死刑になる訳だが、これではムルソーでなくても「そんなことで責めるなよ」といううんざりしたような気持ちを抱くのではないか。

 ムルソーがアラブ人を撃ち殺したのはどうしてだったのか、理由は語られない。問うことも野暮である。「太陽が眩しかったから」と言う他ないのだ。それでも、「太陽が眩しかったから」という理由でアラブ人を撃ち殺してしまったムルソーは、彼を死刑にしようとする検事などと比べて、相対的に『マトモ』に見える。そう見えるように描かれた。

 ここには異邦人の一つの軸がある。難しい社会問題を提出したと言って良い。『マトモでない』殺人者も、実は彼を死刑台に送る社会よりは相対的に『マトモ』である。ならば、社会はどうすれば良いのか。カミュは死刑反対派だった。

 だけど、すでに死刑宣告されてしまったムルソーはそんな問題とはもはや無縁である。異邦人はここから、圧巻のラストを迎える。

 ムルソーは上告も、宗教的な救いも拒否する。そして『世界の優しい無関心』に心を開き、群衆に罵られながら処刑されることを望む。

 一体どんな意味のある結末なのか、この小説は何を語ろうとしたのか。ムルソーはこれ以上は何も自分のことを説明してくれない。作者カミュも、かえって謎が深まるようなことしか語っていない。

 こうして異邦人を読み終わった読者には、カミュが向き合った不条理の問題が、そっくりそのままのしかかってくることになる。

 見事な小説だ。カミュが異邦人を書けたことは、カミュ自身にとっても幸運なことだったに違いないし、私たち読者にとっても同様だ。

 異邦人を読んでカミュの語ったことをもっと知りたくなったのなら、シーシュポスの神話やペスト、カリギュラや正義の人びとを読み進めれば良い。だけど、カミュの書いたものだけを読んでカミュをわかろうとすることは意外と難しい。むしろドストエフスキーの死刑論やアンドレ・ジッドの動機のない犯罪、そしてニーチェの思想が下敷きになっていること、同時代のサルトルが嘔吐を書いたことなどを考えながら読んだ方が、カミュの思想を解きほぐして読んでいくには妥当だと思う。もっとも、そんな理解なんか、カミュの作品の見事さの前ではゴミみたいなものかもしれないのだが。

*1:まったくムルソーに共感できないという人も世の中にはいるらしいので、そういう人のことはここでは無視しているけど

アルベール・カミュ 「シーシュポスの神話」(1942年)

 僕が十代後半の頃、読書仲間とでもいうべき友達がいた。

 彼は泉鏡花や、米文学や、ラッセルや、その他雑多な本を色々読んでいた。その頃僕が夢中だったのは、ニーチェドストエフスキーキルケゴール、あるいは三島由紀夫だったり芥川龍之介だったりした訳で、今思えば彼とは相応の立場の相違があったのだが、そういうことはともかくとして僕と彼は友達として付き合っていた(けっきょく趣味の違いなんてものはあまり重要という訳でもないのだ)。

 その彼に異邦人とシーシュポスの神話を勧めたことが、記憶に残っている。彼は異邦人は読んで、素晴らしいと言った。シーシュポスの神話は、途中まで読んだけどわからないと言っていた。

 カミュの作品は明快だという人と、晦渋に思う人がいる。僕は前者なので(だからといって完全に理解しているなどと言うつもりはないが)、彼みたいにカミュをそんなに難しく考える人の気持ちはわからない。わからないなりに、かつての彼にカミュのことを、ちゃんとというほどでもないがわかりやすく書いてみようと思ったのがこの記事である。

 カミュの創作は大雑把に初期(異邦人の頃)、中期(反抗的人間まで)、後期(反抗的人間から死まで)に分けて考えることができる。初期は新人若手作家として高く評価され、瑞々しさに溢れていた時期。中期はよく言えば安定した、悪く言えば些か停滞気味に作品を書いていた時期。後期はアルジェリアの独立や社会主義に対してある意味異端的な態度を取ったことで思想的に孤立し、あがきながらも創作を続けた時期と言って、それほど異論はないと思う。シーシュポスの神話は初期の作品だ。だから、今回は初期のカミュのことだけ論じようと思う。*1

 シーシュポスの神話は若書きである。勝手なことを言い過ぎだろと思う部分はたくさんあるし、カミュの野望がもろに出ている。それが悪いと言っているのではない。素敵な哲学はだいたい野心的なものだ。それで良い。

 カミュを読むことは、カミュの野望や野心と付き合いながら読むということである。ちょっとつまらない言い方になるが、カミュは「世の中でもてはやされている哲学には欠陥がある、たださなきゃならん」ということをシーシュポスの神話で語ったと思っても別に間違いではない。カミュサルトルに並ぶ実存主義者の一人として数えられることが多いが、カミュ自身はそう呼ばれることを嫌っていたし、実存主義には否定的だった。

 カミュがシーシュポスの神話で何を言ったのか。タネを明かせば簡単だ。

 まず実存主義者をこてんぱんにやっつけた。フッサールヤスパースキルケゴールといった面々である。カミュ実存主義を「ありもしない希望、あるいは不確実な希望にたどり着こうとする思想」とみなした。

 ニーチェの言葉を借りて言えば、神は死んだのである。だから、もはや希望はない。希望を抱くには価値や報いを与えるもの(つまり神)が必要だが、そんな神はいなくなってしまった。

 それでも人間は希望を抱きたがる。カミュに言わせれば、それは間違いである。希望というと普通はポジティブな言葉のような気がするが、カミュは希望を否定する。それはありもしないか、せいぜい不確実なものである。そんなものにすがっちゃダメなのだ。

 これがカミュの世界観の基本である。サルトルと対立した反抗的人間、未完で終わった最初の人間まで一貫し続けたスタンスだ。

 だいたい、僕たちは「努力すれば報われる」と考えたがるし、「人生には意味がある」「死んだ後は天国に行ける」「歴史には目的がある」と思った方が愉快だ。だが、それは嘘なのである。努力しても報われるとは限らない。人生に意味があるか、天国があるか、歴史に目的があるかなんていうのはよくわからないことである。これが人間の投げ込まれている世界というものだ。だが、それでも人は生きることに意味を求め、希望を抱きたがる。カミュはこういう状態のことを不条理と呼ぶことにした。この不条理がカミュの哲学のスタート地点である。

 不条理から発する道を、カミュは三つ示した。

 まず、自殺。これは論外だ。「人生には意味なんてないんだ」と絶望して自殺するというのは、それはそれでけっこうなことだが、そんな道を選びたくはないし、実は選ぶ必然性もないとカミュは語る。すべての行為は等しく無意味なのだから、自殺しようがしまいが何かの解決になる訳ではない。だいたい、人生に意味がないことを知りながら、それでものうのうと生きている奴だってけっこういるじゃないか(これはカミュの結論への伏線でもある)。

 次に、宗教などを盲信すること。カミュはこれも論外とみなす。理性を捨てる行為だとみなし、哲学的自殺と呼んだりした。

 哲学的自殺にはすぐ思いつく大きなデメリットが二つある(もっとたくさんあるかもしれないが)。

 まず、理性を称える哲学的が実は哲学的自殺をしていた、という場合、まったくサマにならない。カミュ実存主義を否定したのも、この理由からだ。実存主義は哲学的自殺を目指す思想だとカミュは考えた。たとえばヤスパースは、「超越者*2と出会おうとしても挫折する」と考える。ここまでは別に良い。だが、ヤスパースは「その挫折したことによって超越者の存在を実感できるだろう」みたいなことを言う。こういうのはダメだ。できの悪い学生のレポートみたいだ。でも、こういうダメさが当時の哲学ではけっこう幅を利かせていた。カミュはそういうことをぶん殴った。

 もう一つのデメリットは、理性を捨てると他人とわかりあうことは不可能になる、ということだ。これは幾らでも実例がある。キリスト教イスラム教の対立はいい例だ。理性的な人間同士は原理的には互いを理解できる*3。だが、何かを盲信している人間はいわば「狂人」であり、互いにわかりあうことは不可能になる。こうなると、あとは相手を暴力で屈服させ、自由を奪って支配するしるしかない。それはナチスがやったこと*4、あるいはカミュの父親を奪った第一次大戦で起きたことであり、カミュはそういう暴力には断固として反対した。

 こうなると、哲学的自殺の道を選ぶ訳にはいかない。最後に残る道は、不条理を受け入れて生きるということである。なんだ、そんなことかよと思うかもしれないが、カミュはこれが唯一の道だとみなした。

 不条理を受け入れるということは、希望を持たずに生きるということである。これを文字通り受け取るとどういうことなのか、考えてみてほしい。僕たちはたいてい、将来に希望を抱いて生きている。「受験勉強すれば大学に合格できるだろう」とか「頑張って仕事をすれば職場で出世できるだろう」とか「このブログもコツコツ記事を書き続ければ人気が出るだろう」とか、そんな『希望』だ。『希望』には二つ問題がある。まず、そういった希望は(実現する蓋然性は高いのかもしれないが)確実に実現する訳ではない。そして、仮に実現したとしても、究極的にはそれが実現したことに何か意味とか価値、素晴らしさがある訳ではない。どうあがいても生きることを肯定する方法はない。生きること、あるいは大学に入るとか、企業で出世するとか、ブログに人気が出るとか、自己実現を達成すること、そういうことに(哲学的な)価値があると思い込めば哲学的自殺になる。

 ちょっと恐ろしいポジションである。普通、人はそんな風には生きられないのではないかと思ってしまう。だけど、カミュはここで踏ん張って、「いや、そのことを肯定できれば大丈夫なのではないか」と言ってのけた。

 シーシュポスというギリシア神話の英雄がいる。シーシュポスは大変賢く、神々を騙して互角に渡り合ったのだが(地獄から生き返ったりした)、さすがに神もキレて彼に刑罰を与える。これが有名なシーシュポスの岩で、シーシュポスは山の頂上まで岩を運び上げるという刑罰を永遠に受け続けることになった。岩は頂上に着くと、山の麓までまた転がり落ちていく。要するに無意味な苦行をずっと続けるということだ。

 このシーシュポスに、カミュは新しい解釈を与えた。原文から引用しよう。

この石の上の結晶のひとつひとつが、夜にみたされたこの山の鉱物質の輝きのひとつひとつが、それだけで、ひとつの世界をかたちづくる。頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりるのだ。

 シーシュポスにとって、彼の世界は岩を持ち上げることだけである。それは貧しく、苦しく、無意味な世界だが、このシーシュポスは僕たち人間の戯画でもある。けっきょくのところすべての人間も、貧しく、苦しく、無意味な人生を生きている。岩を持ち上げ続けるシーシュポスとは程度が違うだけで、本質的には同じことをしているのだ。

 それでも、シーシュポスは彼の世界の中で心を満たせるじゃないか、とカミュは言った。岩だって美しいだろう。岩を持ち上げ続けることに情熱を抱ければ、それで良いだろう。それがカミュの結論である。

 オリンピック選手を想像すれば良い。頑張れば金メダルを取れる、結果が出せる、と確信して練習している選手は恐らくいない。彼らがそれでもくじけないのは、練習して競技が上手くなること、観客を楽しませられることがそれだけで嬉しいからだ。それで十分報いになる。金メダルを取るかどうかは副次的な問題、究極的にはどうでも良いことでしかない。

 だから、受験勉強する理由は勉強して成績が上がり、大学を目指すのが楽しいから、それで十分。仕事を頑張るのも、単に仕事が楽しいから、で良い。ブログ記事だって書きたいから書いてるのである。

 カミュがシーシュポスの神話で語ったのは、だいたいこんなことだ。こう書いてしまうと、なんだか「生きるのを楽しめ」みたいな人生論みたいに思えてくるが*5カミュはそれに哲学的な裏付けを加え、また戦時下のフランス人にナチスに抵抗する勇気を与えもした。カミュは「不条理」や「哲学的自殺」といった概念が出現するような、哲学的にギリギリの場所(カミュの言葉を借りて言えば『砂漠』)で考え、議論をした。だから、巷に良くある安易な人生論といっしょにする気にはならない。

 カミュの思想が現代でも意義を持っている等と言うつもりはない。これだけポストモダン全盛の現代で、西洋的な理性を絶対の拠り所として信じるカミュの思想がどこまで通用するのかも怪しいかもしれない。だけど、カミュ自体はもっと読まれても良い。カミュは思想家として、人間として誠実であり続けようとした、魅力ある作家だ。そしてシーシュポスの神話はその魅力を存分に味あわせてくれる。

*1:もちろん中期のカミュを否定する訳ではない(実際、名作小説ペストや素晴らしい戯曲を幾つも産んだ)。また、後期のカミュの痛ましさ、それでも前進し続けた姿勢は胸を締め付けられるような思いを抱かせる。

*2:神だと思って差し支えない

*3:実際にやろうとするとけっこう大変だろうということは置いておくとして

*4:カミュレジスタンスとしてナチスと戦った

*5:というか実際そういう側面も相応にあって、それ(とても上質な人生論であること)がカミュの哲学の大きな魅力なのだが

サマセット・モーム 「月と六ペンス」(1919年)

 物語の語り手は、作家の「私」だ。「私」が画家のストリックランドの物語を語る構造になっている。

 ストリックランドは証券会社に務めるしがない中年男性だった。そのストリックランドが家庭を捨てて出奔する。誰もが浮気して駆け落ちしたのだろうと思い、ストリックランド夫人に頼まれた「私」が彼に会いに行く。ところが、彼は画を描くという夢のために出奔したのだった。

 これがこの物語の始まりである。それから、ストリックランドは色々な酷いこと(自分の才能を認めてくれる友人から女房を寝取ったり)をしながら画を描いていく。「私」にはその画の価値はわからないし、ストリックランドはただのクズにしか見えないのだが、彼はへっちゃらである。最後は「私」にも見捨てられ、ストリックランドはタヒチに移り住み、現地人の娘と結婚して、ハンセン病で死ぬ。最後まで画を描き続けながら。

 そして彼は死後に偉大な画家として評価される。「私」も、ストリックランドが捨てた家族も、手のひらを返して彼を称賛する。

 ストリックランドはモームの描いた、理想の芸術家というイメージのカリカチュアである。こんなに都合よく芸術に身を捧げられて、見事に報われる芸術家は存在しない。

 だからこそ、芸術家に憧れる者は誰でも、「俺もストリックランドになりたい」と考えることが一度はある。純粋にストリックランドに憧れるのも、良いだろう。しかし、「月」を目指すということは、自分に「六ペンス」の価値しかないことを絶えず突きつけられ続けるということでもある。芸術家と呼ばれる人間はすべて、この「六ペンス」から飛び上がろうとあがき続けた人間である。それが結果的に、本人のあずかり知らぬところで偉大な芸術家と評価されることはあるかもしれない。ストリックランドは死後にそうなったという設定である。しかし、それで「六ペンス」以上の価値が自分の芸術にあると思うようになったら、芸術家はおしまいだ。そうやって芸術作品を作れなくなった死んだ芸術家は、幾らでもいる。

 ストリックランドは死の直前、ハンセン病で視力を失った。その状態で彼が粗末な住居の壁に描いた絵は生命力にあふれる素晴らしいものだった、と語られる。だが、その絵は遺言によって家ごと焼かれ、消滅してしまう。これがモームの描いた芸術のイデアであり、それには強い説得力がある。ストリックランドのモデルはゴーギャンである。だから、このシーンではゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」が想起される。

 モームは周到に準備して、芸術家のイデアを描いた。ストリックランドの人格をクズにしたのも、そのための戦略である。読者がストリックランドへ共感しようとすると、どこかで拒まれるような仕掛けをきっちり埋め込んだ。つまるところ、ストリックランドが偉大に見えるのはそのせいだ。彼が人間的な感情をあらわして苦悩する芸術家志望者だったなら、読者がストリックランドに共感、同情することは容易かったかもしれないが、ニーチェ風に言えば同情は相手の地位を自分より低くすることだ。同情は感じられない、だけど凄みを感じる、という絶妙のポジションにストリックランドを位置させることで、「月と六ペンス」は作品として成立した。

 サマセット・モームという作家はあの時代の英文学作家なので、芸術の価値なんてものには懐疑的だったはずだ。他の作品を読んでもとにかくシニカルだったり、露骨に「劇的な効果」を狙いに行っていたりして、面白いと言えば面白いのだが、ちょっとこれはなぁ、という部分もある。本人の文章もたぶん上手いのだろうし、翻訳も良いので気楽に文庫本で読む分には素晴らしい作品が多いのだが、それ以上の価値(そんなものはモーム自身目指していなかったと思うが)があるかは微妙なところがある。ところが、そのモームが至高の方法で芸術を語ってしまったのが「月と六ペンス」という作品でもある。

 これくらいで良いだろう。最後に、ちょっと脱線気味のことを書く。

 モームが題材にしたのは小説家でも音楽家でもなく、画家だった。画家は小説家に成し遂げられないことをする。あれだけ描写の上手いモームだから、そのことはよくわかっていたと思う。だからこそ、画家に成し遂げられないことを小説家として行ったと僕は考えたい。

 このことは、これから「言葉」というコンテンツの未来を占う上で、この上ないヒントになってくれる。

ブログ開設にあたって

 僕がこの22年弱の人生で読んだ本当は、恐らくは1000冊以上、2000冊以下程度である。多いと言えば多いし、同じ歳でもっと読んだという人も幾らでもいると思う。とにかく、それなりに本を読んできた。

 その結果は、自分の中で役に立っていると言えば役に立っているし、自分の中以外で役に立っていないとも言える。ちょっともやもやするし、文学や哲学のことを誰かに語りたいと思うようになってきたので、それ用のブログを作ることにした。

 このブログに書くことは、本質的にすべて虚構と虚学、内実のないただの構造である。そのことを考えてブログのタイトルも「助動詞の乱舞」と名付けた。何か実体があると思って騙される人がいれば嬉しいし、実体のないことを理解して楽しむ人がいてもやはり嬉しい。とにかく書く側としては気楽にやるつもりでいる。こんな序文なんか誰も読まないだろうが、もし読む人がいたら楽しめるものなら楽しんでいってくれると良い。

 2018年2月25日 はやたか